京都発 日本初 2 
芸術家の卵を育てた画学校の設立
1880年(明治13年)
1880年,画家たちによる美術学校設立の要望が実り,日本初の公立画学校,京都府画学校が京都御苑内に設立された。画学校は,後に府から市に移管。
さらに,工芸や彫刻などの学科増設といった規模の拡大に伴い,校名をたびたび変更。1909年には,卒業生の上級学校である絵画専門学校を併設した。
画学校の流れは,現在の市立銅駝(どうだ)美術工芸高校に続いている。
専門学校は,戦後,市立美術大学になり,1969年,市立音楽短大を統合,市立芸術大学と改称して,現在に至る。
両校は,画学校創立以来,北村西望(きたむらせいほう)や堂本印象(どうもといんしょう),上村松篁(うえむらしょうこう)といった文化勲章受章者を初め,芸術界や産業界に多くの人材を輩出している。
今,二つの学び舎では,芸術家の卵たちが,新たな芸術文化を創造しようと情熱を燃やしている。
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